http://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/news/1526964684/
略
栗城さんがやろうとしているルートは、こういうところなのです。1シーズンに数百人が登るノーマルルートとは、まったく話が違うということをどうか理解してほしい。
栗城さんは世界の登山界的には無名の存在です。本当にこれを無酸素単独で登ったとしたら、世界の登山界が「新しい怪物が現れた」と仰天し、世界中の山岳メディアが取材に殺到し、「登山界のアカデミー賞」といわれる「ピオレドール」の候補ともなるはずです。
難病を克服した感動ノンフィクションを読んで、それがじつは作り話だとわかったら、それでもあなたは「希望を与えられたからよい」といえますか。 あるいは、起業への熱意に打たれて出資したところ、いつまでも起業せず、じつは起業なんかするつもりはなかったことが判明したら。「彼の熱意は嘘だったが、一時でも私が感動させてもらったことは事実だ」なんて納得できますか。
つまり、嘘によって得られた感動は、どんなに感動したことが事実であったとしても、そこに価値などないのです。結局、「だまされた」というマイナスの感情しか最終的に残るものはない。これでは、登山としてはもちろん、ショーとして成立しないじゃないですか。
もうひとつ、嘘がいけない理由があります。どちらかというと、こちらのほうが問題は大きい。それは、栗城さん自身が追い込まれていくことです。 応援する人たちは「次回がんばれ」と言いますが、このまま栗城さんが北壁や西稜にトライを続けて、ルート核心部の8000m以上に本当に突っ込んでしまったら、99.999%死にます。それでも応援できますか。
続く
栗城史多という不思議2 2017年6月9日金曜日 https://www.moriyamakenichi.com/2017/06/blog-post_9.html?m=1
栗城さんは今のところ、そこには足を踏み入れない、ぎりぎりのラインで撤退するようにしていますが、 今後はわからない。最近の栗城さんの行動や発言を見ると、ややバランスを欠いてきているように感じます。功を焦って無理をしてしまう可能性もあると思う。
そのときに応援していた人はきわめて後味の悪い思いをする。しかし応援に罪はない。本来後押しをしてはいけないところを誤認させて後押しをさせているのは栗城さんなのだから。 嘘はそういう、人の間違った行動を招いてしまう罪もある。そして不幸と実害はこちらのほうが大きい。
誤解のないように書いておきますが、私は「登山のショー化」がいけないと思っているわけではありません。 観客のいない登山というものの価値や意味を人々に伝えるためには、ショーアップはあっていいと思っています。ただし嘘はいけない。
じつはこの間、栗城史多さん本人にも会いました。あるメディアが興味をもってくれて、取材をしようとしたのですが、記事化は断られ、「会うだけなら」ということで、本当に会うだけ会って、1時間半ほど話をしてきました。
感想としては、前回・前々回のブログはとくに修正の必要はないな、ということ。そして、取材として受けてもらえない以上、これ以上こちらにはできることはないので、この件は自分的には終了というか、一段落という感じです。
>【後日談】 ちゃんと話を聞いてみたいと思って正式に取材を申し込んだのですが、断られてしまいました。残念。
一発逆転で出来そうに無い方にチャレンジしただけだと思う
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http://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/news/1526964684/
ここは30年間登山をしてきて、20年間登山雑誌にかかわってきたプロとして断言しますが、いまのやり方で栗城さんが山頂に達することは99.999%ありません。
100%と言わないのは、明日エベレストが大崩壊を起こして標高が1000mになってしまうようなことも絶対ないとはいえないから言わないだけで、実質的には100%と同義です。このことを栗城さんがわかっていないはずはない。だから「嘘」だというのです。
略
栗城さんがやろうとしているルートは、こういうところなのです。1シーズンに数百人が登るノーマルルートとは、まったく話が違うということをどうか理解してほしい。
栗城さんは世界の登山界的には無名の存在です。本当にこれを無酸素単独で登ったとしたら、世界の登山界が「新しい怪物が現れた」と仰天し、世界中の山岳メディアが取材に殺到し、「登山界のアカデミー賞」といわれる「ピオレドール」の候補ともなるはずです。
難病を克服した感動ノンフィクションを読んで、それがじつは作り話だとわかったら、それでもあなたは「希望を与えられたからよい」といえますか。
あるいは、起業への熱意に打たれて出資したところ、いつまでも起業せず、じつは起業なんかするつもりはなかったことが判明したら。「彼の熱意は嘘だったが、一時でも私が感動させてもらったことは事実だ」なんて納得できますか。
つまり、嘘によって得られた感動は、どんなに感動したことが事実であったとしても、そこに価値などないのです。結局、「だまされた」というマイナスの感情しか最終的に残るものはない。これでは、登山としてはもちろん、ショーとして成立しないじゃないですか。
もうひとつ、嘘がいけない理由があります。どちらかというと、こちらのほうが問題は大きい。それは、栗城さん自身が追い込まれていくことです。
応援する人たちは「次回がんばれ」と言いますが、このまま栗城さんが北壁や西稜にトライを続けて、ルート核心部の8000m以上に本当に突っ込んでしまったら、99.999%死にます。それでも応援できますか。
続く
栗城史多という不思議2 2017年6月9日金曜日
https://www.moriyamakenichi.com/2017/06/blog-post_9.html?m=1
栗城さんは今のところ、そこには足を踏み入れない、ぎりぎりのラインで撤退するようにしていますが、
今後はわからない。最近の栗城さんの行動や発言を見ると、ややバランスを欠いてきているように感じます。功を焦って無理をしてしまう可能性もあると思う。
そのときに応援していた人はきわめて後味の悪い思いをする。しかし応援に罪はない。本来後押しをしてはいけないところを誤認させて後押しをさせているのは栗城さんなのだから。
嘘はそういう、人の間違った行動を招いてしまう罪もある。そして不幸と実害はこちらのほうが大きい。
誤解のないように書いておきますが、私は「登山のショー化」がいけないと思っているわけではありません。
観客のいない登山というものの価値や意味を人々に伝えるためには、ショーアップはあっていいと思っています。ただし嘘はいけない。
じつはこの間、栗城史多さん本人にも会いました。あるメディアが興味をもってくれて、取材をしようとしたのですが、記事化は断られ、「会うだけなら」ということで、本当に会うだけ会って、1時間半ほど話をしてきました。
感想としては、前回・前々回のブログはとくに修正の必要はないな、ということ。そして、取材として受けてもらえない以上、これ以上こちらにはできることはないので、この件は自分的には終了というか、一段落という感じです。
それからもう単独行は禁止になったんだよね
あれ、単独無酸素って…
どんなバケモノでも1000メートルも落ちれば死ぬわ
受け身って知ってる?
とりあえずそこらのビルから飛び降りて受け身で着地してみせろや
1000mじゃないぞ20mでいい楽勝だろ
>【後日談】
ちゃんと話を聞いてみたいと思って正式に取材を申し込んだのですが、断られてしまいました。残念。
確かに、この人は「栗城の実力では8000超えたら死ぬ」と警告してて
実際は8000も行かずに死んでしまったけど、予言が外れたわけじゃなくて
見積もりよりもっと栗城の実力が低かっただけの話であって
「栗城の実力で登らせ続けてたらいずれ死ぬ」という本質的な部分での警告はあたってる。
まあちゃんと見てはないと思うけど
まったく後味の悪い話だ
指マン出来なくなれば俺も考えるわ
超絶舌技
この人の言う難コースに入る前で死んだから
富士山の五合目までのバスの中で死体で発見された感じ
予想以上の雑魚だったってことだな
ワロタ
病死やんけ
死ななかったからな
それだけで勝ちだ
登山をする事で入ってくる金が好きなだけだからなあ
一発逆転で出来そうに無い方にチャレンジしただけだと思う
スケジュールの関係もあるにしたって
体調不良押して南極の山登ったイモトと違って単独じゃそりゃ死ぬわな
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