http://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1526958998/
もし、あの時ああしていれば、もっと華々しい人生が…。誰もが一度は感じるであろう後悔や嫉妬。この人はどうたったのでしょうか。あの松本人志さんがダウンタウンとしてデビューする前に、漫才コンビを一緒に組んでいた男性がいます。その「元相方」に、35歳の記者が人生相談を兼ねて話を聞きました。(朝日新聞記者・阪田隼人)
■出会いは「おもろないわ」
<松本さんの同級生だった伊東慎二さん(54)。さかのぼること40年以上前、兵庫県尼崎市の小学校で、2人は3年生の頃に同じクラスになった。松本さんが最初に放った奇妙な一言が、伊東さんは忘れられないと言う>
「最初の1カ月は全然話していなかったと思うんです。僕は当時から、お笑い好きで、一発ギャグなんかをよくやってたんですよ。女の子や先輩の前でおもろいことやって、ゲラゲラ笑ってたんですね」
「ある日、そんな僕を松本は、教室の隅でじっと1人で見てたんです。そして、ぼそぼそした声で『全然おもんないわ』『全然おもんないわ』と繰り返し言いよった(笑)」
――衝撃の出会いですね(笑)。腹が立ちませんでしたか
「そう。そんで、僕が『じゃあじぶん、何かおもろいことできんのかいな』と言うと、松本は『俺はそんなギャグみたいなことはせーへん』と言うてました」
「その後すぐに、お互いの家に遊びに行くようになりました。当時から、松本は想像力豊かでしたよ」 . ■「よく、おっさんをイジってました」
<笑いを通じてすぐに仲良くなった2人は、やがて漫才コンビを結成する。子どもっぽくない特異なネタだった>
――どんなことをして、笑いあっていたのですか
「大人の恥部をえぐるような、いやらしー感じでしたね(笑)。よく、おっさんをイジってました。例えば、歩いている大人を見て、松本が『おっさん、ごっつ刈り上げとるな』と言うと、僕が『おっさん、見事な口ひげをたくわえとるな』と返して笑う」。
「今考えると、小3が使う言葉と違いますね。松本も僕もそういうところの感性が合って、溶け込んでいったのかなあと思いますね」
――漫才コンビはどうやって誕生したのですか
「僕の方が『漫才やろうや』と誘ったんです。地域のクリスマス会や学校のイベントで披露してました。練習は僕の家でやることが多かったですね」。
「評判が良かったものに、歯医者のネタがありました。近所にイトタガワとクマガイという二つの歯医者があったんです。イトタガワは患者が多くて、ちょっと歯をいじっては3日後に来さす」
「一方、クマガイはおじいちゃん先生で、大流行のイトタガワと違ってガラガラ。それをネタにしてやりました。たぶん松本が考えたと思うんですが、商店街で2人の院長先生がばったり会う設定です」
『おまえのとこ、ちょこちょこ患者呼んではぼったくってるらしいやないか』(クマガイ) 『おまえのとこは、薄暗くて理科室の臭いすんなあ』(イトタガワ) 『えーやないか別に。俺の方が年上やぞ。なんちゅう口きくんや』(クマガイ)
「商売敵が、だんだん押し問答になる。みんな、実際の歯医者を知ってるから余計に笑う。これ小学生が考えたネタですよ。やらしい感じですね(笑)」
■浜田とのけんか、松本との別れ
<当時、学校にはダウンタウンの浜田雅功さんもいた。松本さんと浜田さんが、中学2年で同じクラスになり急接近する。一方、伊東さんは別のクラスになった。ある日、3人で遊んでいた時に「事件」が起きる。浜田さんと伊東さんが、けんかになったのだ>
「けんかの原因はあまり覚えていないんです。ただ、僕はいちびりなので、浜田をイラッとさすことをよく言うてたと思います。そのときも、そうだったんでしょう。まあ、けんかといっても一方的にやられたけどな。急にヘッドロックされて、路上の壁に頭をぶちつけられたのは覚えてますわ(笑)」。
「それから、浜田が『まっつん(松本さんの呼称)、もう行くぞ』と言って…、そのまま2人は帰っていきました」
「それから、2人とは遊ばなくなり、違う友達とつきあうようになりました。僕の方から離れていったんです」
>>2以降に続く
5/22(火) 7:00 withnews https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180508-00000002-withnews-ent&p=1
「かっこ悪い…。やられた、という感じだったから、顔あわしたくなかった。まあ…逃げてたね」
「松本は気遣いできる優しい男です。浜田の強いリーダーシップに引っ張られいったんでしょうね。今思えば、松本もこんなことになってしまったとショックを受けてただろうし、どうすることもできないという感情やったんじゃなかったかな」。
「その後、学校のイベントで、松本や浜田ら5人がドリフターズの替え歌ネタを披露してめちゃくちゃウケてて、優勝してました。僕は、別のクラスで「長崎は今日も雨だった」を歌ったけど、案の定ウケへんかったね(笑)」。
「病んでたね。笑いという部分では、松本がおって、俺がおって、と思ってました。笑いの「最強」がおらへんから、勝てるはずがないと思ってましたね」 . ■「ダウンタウン売れるな!」
<2人は別々の高校に入学し、まったく会わなくなった。伊東さんは二十歳を過ぎ、親の勧めでアパレル会社に就職した。一方、この頃ダウンタウンの人気は関西を中心に急上昇していく>
――ダウンタウンの活躍をどう見ていましたか。
「正直『売れるな』と思っていました。話は入ってくるのですが、レギュラー持ってる番組も一切見ませんでした。喪失感というか、自分自身が情けないというか、キャーキャーされている彼らに対する嫉妬やうらやましさがありました」
「26歳の時、頼まれて彼らの番組に『元同級生』としてゲスト出演したけど、本当は嫌でした」
――自分もお笑いをやっていこう、という思いは? 「ありませんでしたね。高校ではもう笑いとかけ離れていたし。松本以上の相方はいないし。ピンでやる勇気もありませんでした。喪失感みたいなものは、30代半ばまではあったかな」
■突然の電話「まっつん…」
<久々の再会は突然だった。30代半ばになった伊東さんのもとに、松本さんから尼崎に戻っているので会わないかと連絡があった。「ダウンタウンのごっつええ感じ」「HEY!HEY!HEY!」などの冠番組で、その人気は頂点に達していた>
「寒い冬でした。突然電話があって、松本が同級生の友人宅に来ていると。僕は『まっつん、俺びっくりするくらいはげてもーてな。ショック受けると思うで』と言ったことを覚えています。会いに行ったら、松本は僕を見て、ゲラゲラ笑ってました」
「その1週間後に、今度は僕が仕事で東京に行く機会があったから、連絡したんです。僕の方から。ホテルも直前にキャンセルして。松本が車で迎えに来てくれて、鉄板焼き食べにいって、自宅に泊めてもらいました」
――2人でどんな話をされたのですか
「お互いの仕事の話をして、マジトークになりました。松本は周りの芸人らの仕事の仕方なんかに少し不満をもっていたようで、常に笑いのことを考えていかないと、といいたようなことを言っていました」
「僕がアパレル業界でやってることを聞いて、松本は『ほんま頑張ってるなー。俺ももっと頑張らなあかんわ』とも言うてた。『そない頑張らんでええ。十分や』と返したけどね」 . ■月1回、同級生と飲み会
※省略
■「浜田と一緒に帰ってきて」
<最近は、松本さんのニュースに対する鋭いコメントが注目を集めています。元相方として、最後にメッセージをお願いします>
「まあ、えらなったのーと。アタマ悪いなりに色々勉強してんねんな(笑)。ま、根本アタマいいねんけどね。笑いに徹することは本人が一番分かっていることですし」
「数年前に、ダウンタウンの番組にゲスト出演した時、生で松本と浜田見たら。テレビで見るより、疲れてるなと感じたんです。だから体には気をつけてほしい」
「プライベートでは松本と浜田は交わらないと聞いている。希望を言えば、還暦になったら2人一緒にアマに帰ってきて、僕らみんなと色んな話をしたいな~」
【取材を終えて】「ダウンタウンの昔話に今でも興味を持ってくれて嬉しいわ」。取材を終えた別れ際、伊東さんがそんな言葉をかけてくれました。50歳を過ぎても、松本さんらとの昔話をして、クククっと思い出し笑いする笑顔はまるで少年のよう。豊かな人間関係さえあれば、フツーのおっさんの人生も悪くないぞ。理想と現実のはざまでもがく私に、伊東さんの後ろ姿が、そう語りかけてくるようでした。
ハマタwww
☆2丁目おでかけ探険隊(読売) ・特・海外初公演・2丁目おでかけ探険隊IN韓国(1988.7/16~19) …韓国語コントをしたり、ダウンタウンが市場などで買物したり。この模様はよみうりテレビで放送(1988.8/14)
☆ダウンタウンのごっつええ感じ(フジテレビ) ・元祖K-POP「オジャパメン」「マウヤケソ」を毎週、韓国語で歌う
☆ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!(日本テレビ) ・韓国九天王でぐぐれ
☆HEY!HEY!HEY!(フジテレビ) ・人気の無いKPOPまで紹介していた。
☆ダウンタウンDX(読売テレビ) ・現在も韓国人を多数紹介、EDがK-POPと言う時もあり
その他 松本は昔から韓国好き 韓国の釜山映画祭に毎作品「大日本人」から「R100」まで必ず出品している。
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もし、あの時ああしていれば、もっと華々しい人生が…。誰もが一度は感じるであろう後悔や嫉妬。この人はどうたったのでしょうか。あの松本人志さんがダウンタウンとしてデビューする前に、漫才コンビを一緒に組んでいた男性がいます。その「元相方」に、35歳の記者が人生相談を兼ねて話を聞きました。(朝日新聞記者・阪田隼人)
■出会いは「おもろないわ」
<松本さんの同級生だった伊東慎二さん(54)。さかのぼること40年以上前、兵庫県尼崎市の小学校で、2人は3年生の頃に同じクラスになった。松本さんが最初に放った奇妙な一言が、伊東さんは忘れられないと言う>
「最初の1カ月は全然話していなかったと思うんです。僕は当時から、お笑い好きで、一発ギャグなんかをよくやってたんですよ。女の子や先輩の前でおもろいことやって、ゲラゲラ笑ってたんですね」
「ある日、そんな僕を松本は、教室の隅でじっと1人で見てたんです。そして、ぼそぼそした声で『全然おもんないわ』『全然おもんないわ』と繰り返し言いよった(笑)」
――衝撃の出会いですね(笑)。腹が立ちませんでしたか
「そう。そんで、僕が『じゃあじぶん、何かおもろいことできんのかいな』と言うと、松本は『俺はそんなギャグみたいなことはせーへん』と言うてました」
「その後すぐに、お互いの家に遊びに行くようになりました。当時から、松本は想像力豊かでしたよ」
.
■「よく、おっさんをイジってました」
<笑いを通じてすぐに仲良くなった2人は、やがて漫才コンビを結成する。子どもっぽくない特異なネタだった>
――どんなことをして、笑いあっていたのですか
「大人の恥部をえぐるような、いやらしー感じでしたね(笑)。よく、おっさんをイジってました。例えば、歩いている大人を見て、松本が『おっさん、ごっつ刈り上げとるな』と言うと、僕が『おっさん、見事な口ひげをたくわえとるな』と返して笑う」。
「今考えると、小3が使う言葉と違いますね。松本も僕もそういうところの感性が合って、溶け込んでいったのかなあと思いますね」
――漫才コンビはどうやって誕生したのですか
「僕の方が『漫才やろうや』と誘ったんです。地域のクリスマス会や学校のイベントで披露してました。練習は僕の家でやることが多かったですね」。
「評判が良かったものに、歯医者のネタがありました。近所にイトタガワとクマガイという二つの歯医者があったんです。イトタガワは患者が多くて、ちょっと歯をいじっては3日後に来さす」
「一方、クマガイはおじいちゃん先生で、大流行のイトタガワと違ってガラガラ。それをネタにしてやりました。たぶん松本が考えたと思うんですが、商店街で2人の院長先生がばったり会う設定です」
『おまえのとこ、ちょこちょこ患者呼んではぼったくってるらしいやないか』(クマガイ)
『おまえのとこは、薄暗くて理科室の臭いすんなあ』(イトタガワ)
『えーやないか別に。俺の方が年上やぞ。なんちゅう口きくんや』(クマガイ)
「商売敵が、だんだん押し問答になる。みんな、実際の歯医者を知ってるから余計に笑う。これ小学生が考えたネタですよ。やらしい感じですね(笑)」
■浜田とのけんか、松本との別れ
<当時、学校にはダウンタウンの浜田雅功さんもいた。松本さんと浜田さんが、中学2年で同じクラスになり急接近する。一方、伊東さんは別のクラスになった。ある日、3人で遊んでいた時に「事件」が起きる。浜田さんと伊東さんが、けんかになったのだ>
「けんかの原因はあまり覚えていないんです。ただ、僕はいちびりなので、浜田をイラッとさすことをよく言うてたと思います。そのときも、そうだったんでしょう。まあ、けんかといっても一方的にやられたけどな。急にヘッドロックされて、路上の壁に頭をぶちつけられたのは覚えてますわ(笑)」。
「それから、浜田が『まっつん(松本さんの呼称)、もう行くぞ』と言って…、そのまま2人は帰っていきました」
「それから、2人とは遊ばなくなり、違う友達とつきあうようになりました。僕の方から離れていったんです」
>>2以降に続く
5/22(火) 7:00
withnews
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180508-00000002-withnews-ent&p=1
――つらい経験ですね。でも、なぜ自ら離れようと。
「かっこ悪い…。やられた、という感じだったから、顔あわしたくなかった。まあ…逃げてたね」
「松本は気遣いできる優しい男です。浜田の強いリーダーシップに引っ張られいったんでしょうね。今思えば、松本もこんなことになってしまったとショックを受けてただろうし、どうすることもできないという感情やったんじゃなかったかな」。
「その後、学校のイベントで、松本や浜田ら5人がドリフターズの替え歌ネタを披露してめちゃくちゃウケてて、優勝してました。僕は、別のクラスで「長崎は今日も雨だった」を歌ったけど、案の定ウケへんかったね(笑)」。
「病んでたね。笑いという部分では、松本がおって、俺がおって、と思ってました。笑いの「最強」がおらへんから、勝てるはずがないと思ってましたね」
.
■「ダウンタウン売れるな!」
<2人は別々の高校に入学し、まったく会わなくなった。伊東さんは二十歳を過ぎ、親の勧めでアパレル会社に就職した。一方、この頃ダウンタウンの人気は関西を中心に急上昇していく>
――ダウンタウンの活躍をどう見ていましたか。
「正直『売れるな』と思っていました。話は入ってくるのですが、レギュラー持ってる番組も一切見ませんでした。喪失感というか、自分自身が情けないというか、キャーキャーされている彼らに対する嫉妬やうらやましさがありました」
「26歳の時、頼まれて彼らの番組に『元同級生』としてゲスト出演したけど、本当は嫌でした」
――自分もお笑いをやっていこう、という思いは?
「ありませんでしたね。高校ではもう笑いとかけ離れていたし。松本以上の相方はいないし。ピンでやる勇気もありませんでした。喪失感みたいなものは、30代半ばまではあったかな」
■突然の電話「まっつん…」
<久々の再会は突然だった。30代半ばになった伊東さんのもとに、松本さんから尼崎に戻っているので会わないかと連絡があった。「ダウンタウンのごっつええ感じ」「HEY!HEY!HEY!」などの冠番組で、その人気は頂点に達していた>
「寒い冬でした。突然電話があって、松本が同級生の友人宅に来ていると。僕は『まっつん、俺びっくりするくらいはげてもーてな。ショック受けると思うで』と言ったことを覚えています。会いに行ったら、松本は僕を見て、ゲラゲラ笑ってました」
「その1週間後に、今度は僕が仕事で東京に行く機会があったから、連絡したんです。僕の方から。ホテルも直前にキャンセルして。松本が車で迎えに来てくれて、鉄板焼き食べにいって、自宅に泊めてもらいました」
――2人でどんな話をされたのですか
「お互いの仕事の話をして、マジトークになりました。松本は周りの芸人らの仕事の仕方なんかに少し不満をもっていたようで、常に笑いのことを考えていかないと、といいたようなことを言っていました」
「僕がアパレル業界でやってることを聞いて、松本は『ほんま頑張ってるなー。俺ももっと頑張らなあかんわ』とも言うてた。『そない頑張らんでええ。十分や』と返したけどね」
.
■月1回、同級生と飲み会
※省略
■「浜田と一緒に帰ってきて」
<最近は、松本さんのニュースに対する鋭いコメントが注目を集めています。元相方として、最後にメッセージをお願いします>
「まあ、えらなったのーと。アタマ悪いなりに色々勉強してんねんな(笑)。ま、根本アタマいいねんけどね。笑いに徹することは本人が一番分かっていることですし」
「数年前に、ダウンタウンの番組にゲスト出演した時、生で松本と浜田見たら。テレビで見るより、疲れてるなと感じたんです。だから体には気をつけてほしい」
「プライベートでは松本と浜田は交わらないと聞いている。希望を言えば、還暦になったら2人一緒にアマに帰ってきて、僕らみんなと色んな話をしたいな~」
【取材を終えて】「ダウンタウンの昔話に今でも興味を持ってくれて嬉しいわ」。取材を終えた別れ際、伊東さんがそんな言葉をかけてくれました。50歳を過ぎても、松本さんらとの昔話をして、クククっと思い出し笑いする笑顔はまるで少年のよう。豊かな人間関係さえあれば、フツーのおっさんの人生も悪くないぞ。理想と現実のはざまでもがく私に、伊東さんの後ろ姿が、そう語りかけてくるようでした。
運と縁がなかった
逆に浜田は運や縁をを力ずくで引っ張り倒すくらいの奴だしな
ダウンタウンが今ほど売れていたかどうかなんて分からんし
浜田の力も大きいし
>ヘッドロックで壁にガンガンぶつける浜田
ハマタwww
ダウンタウンの番組で韓国絡んでないのある?
フジテレビというよりダウンタウンが問題だったんだろうな
☆2丁目おでかけ探険隊(読売)
・特・海外初公演・2丁目おでかけ探険隊IN韓国(1988.7/16~19)
…韓国語コントをしたり、ダウンタウンが市場などで買物したり。この模様はよみうりテレビで放送(1988.8/14)
☆ダウンタウンのごっつええ感じ(フジテレビ)
・元祖K-POP「オジャパメン」「マウヤケソ」を毎週、韓国語で歌う
☆ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!(日本テレビ)
・韓国九天王でぐぐれ
☆HEY!HEY!HEY!(フジテレビ)
・人気の無いKPOPまで紹介していた。
☆ダウンタウンDX(読売テレビ)
・現在も韓国人を多数紹介、EDがK-POPと言う時もあり
その他
松本は昔から韓国好き
韓国の釜山映画祭に毎作品「大日本人」から「R100」まで必ず出品している。
一緒じゃないと難しいよな。関西芸人は。
売れた後の引き出しの多さ、企画やアイディアを試される
段階になれば松本の才能が発揮されるが。
人気出てから今までずっとコンビ離れず第一線だし、
コンビ自体を称賛され続けてるし、なおさらだろうな。
それは誕生日会で風を全身に浴びながら現れ手に持ったエンピツ三本を差し出した森岡のおっさん
高須の名前が出てこない辺りこの同級生は腰巾着野郎の事を認めてなさそう
子供時代の相方とかどうでもいいよ
しょうもな
お笑い芸人ですらないんか
頭痛が痛いか?
「4分箱」という意味のわからない箱のことを語るネタは衝撃だった
こいつらホンマにダウンタウン二世になるかも知れんと思った
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